2022/09/22
明鏡止水(めいきょうしすい)
何のこだわりもなく
清らかで澄みきった心境のこと
「明鏡」 澄んでいて曇りのない鏡
「止水」 止まっているように見えるほど静かな水
真に澄み切った心境で
流れる水を見たとき
耳に入る音が消え
水が止まったようにスローモーションに見える
その時の心境は
誰もが物凄く平安に成っている
これが悟りの入り口
このように自然に感じられる
「時を持つ」
自分が出来ることをすれば
後は気にしない
困難に遭った時は
それを冷静に見る
その時が真の瞑想のチャンス
自分の心を進化させるチャンス
大丈夫!
2022/09/15
レレレのおじさん
アホと言いますと伝説のアホである。
レレレのおじさん(天才バカボンのご近所さん)(^^;)
釈尊の直弟子で名はシュリハンドク。
ハンドクの周囲の人間は、ハンドクが怒らないことを良いことにハンドクに自分のストレスをぶつけイジメます。
釈尊はハンドクを呼び、1本のホウキを持たせて「とにかく掃除しなさい」と言いました。
ハンドクの掃除好きを見越して、一本の箒を渡しました。
そして「塵を払わん、垢を除かん」 (塵をはらいましょう。垢をのぞきましょう。)
と唱えながら掃除をしてくださいと伝えました。
それからハンドクはひたすら「レレレのレ~」と掃除することだけに何年も何年も専念しました。
ハンドクは『受け流し』『ひたすら明るく』ゴミ掃除を遂行しました。
するとある日、
「汚れが落ちにくいのは人間の心も同じだ。しかも日々汚れは掃除すれば増減し、変わる!」
「だから人間の心も、いつでも必ず変わることができるのだ!」
「一寸の虫にも五分の魂」が宿るがごとく
ついに見性(身に備わる仏としての本性)したのです。
イジメられてイジメられてその中で真理を見るのです。
『明るく遂行したこと』 これが条件でした。
イジメられたり、イジワルされることも
明るく流すことが自分に出来れば
これも相手を癒した行徳の磁気が自分に堆積し見性(幸運)を後押しする因果と成るのです。
すべてに一切のムダは無いのです。
自分が受けたことは、その反射が必ず色んな形で起こります。
自分がアホに成って何でも明るく挑戦すること。
そして自分が気楽に居ることが他人を引き寄せます。
2022/09/08
天才バカボン
「バカボン」の語源は、梵語の「薄伽梵」(ばぎゃぼん)に由来すると推測されています。
「薄伽梵」は、音読みでは“バガボン”とも実際に発音出来ます。
「バカボン」は、サンスクリット語のBhagavad(ヴァガバッド)を経典の漢訳の時に、発音を漢字に直したものとされています。
“Bhagavad”は、“Buddha(ブッダ)”とも訳されてます。
ブッダ(仏陀)とは悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指し、釈尊(しゃくそん)とは、釈迦(しゃか)を敬っていう呼び名です。
つまり釈尊ただ一人が仏陀です
そして「バカボン」とは、釈尊のことです
バカボン(釈尊)のパパは、なんと釈尊を生み出した父親(根源存在)です
バカボンのパパは
「これでいいのだ」
とすべてを全肯定しています。
存在していることに
ただただ 感謝感謝〜
自分自身を全肯定した時に
新たな1歩が始まる
自分を全否定している間は
過去に縛られたまま停滞する
自分に対して 自分なりの最善を尽くしているなら
「これでいいのだ」
すべての本音を知っている
本当の自分に認めてもらうまで
迷いと不安が継続します
自分なりの最善を尽くしたなら
どんな結果でも
「これでいいのだ」 タリラリラ〜ン
2022/09/01
なんとなく
起きているときに私達は、色々な選択に迷い、どうすれば良いか悩み、自分に無いものに苦しんでいます。
ユングが示唆すると
私達の本心は、すべてを知っている。
人生の目的は、自分の本心を思い出すこと。(これが「悟り」とも)
でも分からないから喜怒哀楽を繰り返しています.
「分からないことは、本当の自分に聞け。本当の自分は、知っている。」
と言われても、私達は自分の思いを信じることが出来ません。
どうしても自信が持てない。
それは「他人を見ること」を優先して決めたから、自分の思いを知ろうとも聞こうともしなかった結果です。
本当の自分自身からのサインは、
「何となく」
という感情で受け取ること。
深層心理からのお知らせは、耳に聞こえません。
「何となく」という自分の思いで通知が誰にでも来ています・ing。
これからは、他人を見ることよりも、自分の本当の思いは何か?
これを思うことで運気を掴めるのです。
2022/08/25
油断
「油断大敵」「油断禁物」などと使われる「油断」は、気を緩(ゆる)めて、注意を怠ってしまうことを言います。
もともと佛教語です。
ある国王が、油が入った鉢を家臣に持たせ、「油を一滴でもこぼしたら首をはねる」と言って歩かせた。
家臣は必死の思いで、一滴もこぼさず歩き切りました。
「油」をこぼしたら、命を「断つ」ということから、注意を怠ること、集中していないことを、「油断」というようになりました。
油断すると次第に垢にまみれ、煩悩に覆わてしまいます。
心を遠ざけることなく気持ちを引き締めて行くことが大切です。