ココロの秘密基地
ココロの秘密基地

コラム

2022/11/17

何を観る?

何を観る?

修行僧と禅の師匠との間の禅問答に
堅固法身(けんごほっしん)
という問答があります

弟子:
「仏教では不生不滅(ふしょうふめつ)と言い、私達が様々な喜怒哀楽をして、苦しんで変化して行く様子も、それは実は生じていないし、滅することもなく、常に一定不変であると説きます。」
「でも、肉体は明らかに死んで消えて行きます。この矛盾を教えてください。」

禅の師匠:
「山の花は、満開となって錦のように咲き乱れて美しい」
 「谷の水は、どこまでも青深く澄んで美しい」
このようにだけ、返答しました

人間とは
どの点を見るかによって
すべての判断と答えには
天地の違いが生じるということ

人の人生とは
自分が何に着目するかによって
千変万化する
どんな嫌な過去が有っても
今からを注目して楽しむのも人生

過去の問題が解決していなくても
謙虚に今を楽しそうにされている人はいます
人は何を見て、着目して生きるかによって
人生が変わります

天は、自分の良い点も、悪かった事も
公平に完璧に「映像で」見せてくれます
これが深く自分の心に響き刺さり
自分の心に痛みを感じることになります

何を観る?
何を観る?

2022/11/10

ツバメ

ツバメ

あるところにツバメのヒナがいました
名前はポポ。ポポは、お腹がペコペコになると
兄弟たちと一緒に一生懸命、口を開けてピイピイと鳴きます

するとお父さんとお母さんが交代で餌を運んでくれるのです
「ポポ、慌てるな。順番だぞ。沢山食べて大きくなれよ」
お父さんは優しく言うのでした

「ポポ、あなたが一番食いしん坊ね」 
お母さんは、そう言って広げた翼でポポの頭を優しく撫でました

お父さんとお母さんは毎日、子ども達のために飛び回って
餌を探してくれます。
それは1日に500回以上になることもありました
そんな日々を繰り返し、20日ほど経った頃、ポポ達に羽根が生えてきました

「今日から飛ぶための練習だ」お父さんが言いました
ポポは羽をバタバタさせて飛んでみましたが、直ぐにその場でパタリと落ちてしまいます

「ダメだ ダメだ。もっと大きく羽をはばたかせて!」
いつも優しいお父さんが、とても厳しく言いました

そうして練習を続けるうちに、ポポ達も段々飛べるようになってきました
お父さんは言いました
「よく頑張ったな。もうすぐ此処を飛び立って南の国へ行くんだ。とても遠い所で大変だが、力を合わせて頑張ろう!」

「どうして? 此処にいちゃダメなの?」
「此処はもうすぐ寒くなって、食べ物が無くなり、生きていけなくなるんだ」
お父さんはポポ達に、優しく言い聞かせるのでした

ポポ達は長く飛べないので、休みながら飛んでいきます
陸の上をしばらく飛んでから、いよいよ海に出ました
ポポ達にとっては、初めての海です

近くを飛んでいたお父さんは、ポポが疲れているのを見ると
咥(くわ)えていた小枝を、海に落として小枝の上で休ませてくれます
兄弟たちも同じように休ませます

また飛べるようになると、その小枝を、お父さんは拾って咥えるのです
お母さんも同じようにして、子供たちを休ませながら飛びます

それを何度も繰り返しながら、お父さんとお母さんは
ポポ達を連れて行きました。

夕方になると雨が降ってきました。
雨が強くなり、だんだんと体力が奪われていきます

ポポの弟が力尽きて、海に落ちそうになりました
「ボクはもうダメだよ。おいて行っていいよ」
「何を言っているんだ。頑張れ! いつも一緒にいるからな!」
「そうよ、負けたらダメ! 一緒にいるからガンバッテ!」

お父さんとお母さんは、直ぐに小枝を落として
なんとか小枝の上に止まらせ、弟を励まし続けました

「ふう〜 落ち着いてきた・・なんとか・・がんばるよ!」
雨がだんだん止んできたので、弟はまた飛び立ちました

「よし! いいぞ! がんばれ〜!」
お父さんは小枝を咥えます

次の日の朝には、風が吹いて来ました
強い風が吹くと、お父さんやお母さんでも
吹き飛ばされそうになります

ポポは風に巻き込まれて
クルクル回りながら遠くまで吹き飛ばされました
お父さんはポポを、お母さんはお兄さんを
追いかけます

「僕はもうダメだ」「僕も、もう無理だよ」
ポポもお兄さんもフラフラです

「絶対にあきらめるな! 皆んな家族だからな!
どんなことがあっても、一緒に行くんだ!」

そう言って励ましながら、お父さんとお母さんは
ポポや兄弟を小枝で休ませ、また皆んなで飛び立ちました

そうしてお父さんとお母さんのお陰で
何十日もの間、飛び続け、遂にポポ達は、南の島に辿り着き
皆んなで涙を流しながら、喜びあったのでした

ツバメ
ツバメ

2022/11/03

錯覚するなかれ

錯覚するなかれ

人間は、他人を評する時に
「あの人は頭が良い」「悪い」
という言い方をよくするものです
こういう言葉がどうして出るのでしょうか?

自分が気にしている視点が
他人の頭脳の良し悪しであるから
頭が悪いことは
カッコ悪い、嫌だと思っている

こういう表現をする人は
「頭脳=自分という者を表現している」
と思っているフシが確かに有ります

頭脳に限らず
人は6種類の機能(眼・耳・口・鼻・身体・頭脳)の高低と
その美醜も入れた他人との比較において
「それが自分という者だ」「それがアノ人というものだ」
と思い込んでいます

釈尊は
それは、ただの機能であって、本当のあなたでは無い
その美醜は、ただの形であって、本当のあなたでは無い
このように指摘しています

人間は年を取るほどに
6種類の機能を失くして行きます
機能の1つや2つを失くしても
外見が老いても、やはり自分は自分であり
同じ人間な訳です。

老人に成れば
「あれは一時の仮の自分に過ぎない」
ということが分かります

でも若いうちは、真剣に
ある時は死ぬほど悩んで
他人と比較しながら
苦しんでいるのが人間なのです

まさに釈尊が言われる
6種類の機能が自分自身だと思い込み
自分の存在価値観を
社会の中で競い合って持とうとするために
人間に苦しみが生じる
これがズバリだと言えると感じます

いずれは消えていく6種類の価値観のために
自分の心を痛めたり
他人を傷付けたりとしては生けません

死ぬ時は
全員が平等にすべての機能を失くして
コノ世を去るのが法則です

機能を失くすのが遅いか早いかだけで
自分の心を痛めないでいましょう

                釈迦

錯覚するなかれ
錯覚するなかれ

2022/10/27

禅のエピソード

      禅のエピソード

弟子「犬でも、悟りを開く仏性が有るのでしょうか?」
和尚「あります」

弟子「犬は悟りを開く仏性があるのに、どうして人間ではなく犬の姿をしているのでしょうか?」
和尚「あえて犬の姿をしているだけです。」

別の時に(または別の弟子が)再度、和尚に同じことを聞く。

弟子 「犬は悟りを開く仏性を持っているでしょうか?」
和尚 「ないです」

弟子 「仏典には、全ての生き物には仏性有り、と書かれています。どうして犬には仏性がないのでしょうか?」
和尚 「犬には積み上げられてきた迷いの煩悩・因果があるからです。」 

                禅の代表的な公案・「狗子仏性(くしぶっしょう)」より

  〜メッセージ〜

時に応じて、相手に応じて
同じ質問でも、答えが変わる
これは有ることなのです

答えが変わっても、どの答えも
その時のその人に合った
正解であり答えです

時と場合に応じて、相手に応じて
正解が変わるのが正しいのです

今にも言葉を話しそうな、聡明な犬
ただ本能のままに吠えて、噛みつこうとする犬
同じ犬でも、その心の段階がまったく違います

言葉の変化に固執しない自由性
答えも、正解も、変化して行きます
このような柔軟性を持つことは大事です

もっと大らかに、柔軟に
自分の心を育てて見ましょう

禅のエピソード
禅のエピソード

2022/10/20

アドラーの言葉2

アドラーの言葉2

親からの遺伝は それほど重要ではない
重要なのは、何を遺伝したかではなく
遺伝として与えられたものを
どう使うかだ

〜メッセージ〜
同じ親から生まれた兄弟姉妹が
異なった性格を表すように
遺伝で全てが決まるわけではありません

大切なのは自分の性質をどう扱うか
それによって
どうにでも変わりうるのです

人間が自分の行く道を決められることを
アドラー心理学では
「自己決定性」と呼びます

持って生まれたものも
どう使うかで
人は変わりうるのです

アドラー心理学では
「使用の心理学」
と言います

アドラーの言葉2
アドラーの言葉2